私たちは常々、
運がいいなと思っています。
車でお出かけしても、
だいたいいつも、
良い駐車スペースが
良いタイミングで空きます。
しかし、ある時、
観光地に行って、
そこの駐車場に車を停めようとすると、
全然空いてなくて、
少し奥の駐車場まで回されました。
その駐車場は大した距離ではなかったのですが、
いつもなら、良い場所が空くのになぁ、
なんて思いながら、
その場所に車を停めました。
それから数ヶ月後、
またその観光地を訪れました。
前回行ったのは日曜日でしたが、
今回は平日です。
駐車場もたくさん空いています。
しかし私たちはあることに気づきました。
休日の駐車場料金は変わりませんが、
平日は、以前私たちが通された
少し離れた駐車場のほうが
最寄りの駐車場より
1000円安かったのです。
そして、
「前回こっちに通されていなければ、料金の高い方の駐車場に停めていたよね。なるほど、結局それも運が良かったということか」
と思いました。
ただそこで少し思ったのですが、
もし神様が、
私たちに運の良し悪しを
与えてくれるのだとしたら、
そもそも駐車料金が1000円安いとか、
距離が近いとか、
そんな小さな判断を
いちいちするのでしょうか?
もっと考えてみれば、
私たちが運が良いと思っていることも、
後になって考えてみたら、
実はそのせいで悪いことが起きたり
よくよく考えてみたら、
全然良いことでなかったりすることがあります。
神様が運気をコントロールするのなら、
目の前の些細な出来事よりも、
もっと人生全般の大きな流れに沿った
出来事を左右してくれると思いませんか?
そうするとつまり、
運気というのは、
私たちが良いと思うことと
悪いと思うこととは
あまり関係なくなってしまうはずです。
なぜなら、私たちには
目の前のことしか見えていませんが、
神様は全てお見通しなわけですから、
本当に私たちのためになることを
神様がしてくれるとしたら、
私たちの意に反することが多くなるはずです。
しかし実際、
私たちが意識で「良い」と思うようなことが
よく起こるという「運気」はあります。
例えばそれこそ、
目の前の駐車場がよく空くとかもそうですし、
宝くじに高額当選を何度も繰り返す人などもそうです。
でもそれが、
人生にとって本当に良いか悪いかは
わからないわけですよね。
そうすると、
長いスパンで見れば、
何が運気が良くて悪いのか
わからなくなってしまいます。
では、運気というのを
どのように考えれば良いのでしょうか。
それは、
意識を具現化できる確率の高さ
こそが運気だということです。
運気というのは、
神様から見て良いか悪いかということではなく、
自分自身が意識的に、
あるいは無意識的に望む結果の具現化力です。
運気がいい人というのは、
私たちが望む結果を
具現化する後押しを
神様がしてくれている人のことを
言います。
私たちはいつも
「神仏はタイミングに宿る」と
お伝えしていますが、
運気とはまさにタイミングです。
運が良い人というのは、
タイミングを制することができる人で、
神仏はこのタイミングを通して
私たちは後押ししてくれています。
だからもし、
運気を良くしたいと思ったら、
まずは、自分の中で
本当に望んでいるものを
意識化していく必要があります。
だからこそ、
ネガティブなことや、
望まないことにばかりに
目を向けるのではなくて、
ポジティブなことや、
理想の現実に
目を向けていくことが
大切なのです。
そう考えると、
引き寄せの法則などの話も
全て腑に落ちてくるような気がしませんか?
意識のコントロールを通して
運気もどんどん向上させていきましょう!
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