今回は、自分を変えるための一番の障害となる「怒り」について話していきたいと思います。怒りというのは表面的なものではありません。心の内側の怒りです。この怒りを取り除かなければ、スピリチュアルカウンセリングは効果を出せません。
自分と向き合う覚悟と決意
カウンセラーというのは人を見てきています
だから大抵の場合はお会いした瞬間や、最初のメールの内容からその人がわかります。
そのため、どんな言葉を言えば依頼が来るのか、あるいは断ってくるのかを知っています。また、どんな言葉がその人を怒らせることになるのかも知っています。
例えば私たちは、自分と向き合う準備ができていない人にこんなふうに純粋に聞いてみます。
「あなたには自分と向き合う覚悟ができていますか?」
そうすると、準備のできていない人はこう言います。
「何でそんなことを聞くんですか?準備ができているからこうして連絡しているに決まっているじゃないですか。これまでどれだけ悩んできたと思っているのです!バカにしないでください」
これでは準備が整っているなんて到底いえません。
悪意のないたった一つの言葉にも怒りを覚えているのに、どうして心の奥底まで入っていかなければいけないカウンセリングが受けられるでしょうか。
こういう方はとても多くいます。
そして、問題が治らない原因はそこにあります。
自分自身、表面だけは丁寧でも、内側は怒りに満ち、自分と向き合う準備ができていないことに全く気づいていないのです。
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それでは準備ができている人はどのような反応をするかも示しておきましょう。
同じように質問すると、
「もちろんです。できることは何でもやりたいと思っています。どうぞよろしくお願いします」
概ねこのように答えます。
長年の問題を解決するためには覚悟と決意が必要です。
覚悟と決意こそが、幸せな人生に行き着くパスポートなのです。
それでは、問題を解決するための覚悟と決意とはなんでしょうか。
それは、心を開き、全てを受け入れる決心をするということです。
カウンセラーはクライアントが知っている以上の知識を持っています。
その一言一言にはなにか意味があるのではないかとしっかりと考え、怒りを起こさず、導きについていくのです。
そして、頭であれこれ判断する前に、言われたことを実践していきます。
もしその覚悟と決意がなければ、どんなに素晴らしいことを教えられても
「そんなことは知っている」
「もうやった」
「いまさらそんなこと」
「それはできません」
「それはしょうがないのです」
そうやって言い訳を並べるだけで実践はしないでしょう。
怒りに満ちた心を捨てること
私たちの今までの経験上、問題解決のための方法は、クライアント自身が今まで通ってきた道や試してきた方法、知っていることの中にあることがよくあります。ただ、一度は問題解決への方法をどこかで聞いても、覚悟と決意がないからその恩恵を受けられずにいるのです。
例えばそれは、お医者さんから処方箋をもらい、「なるほどこれは良さそうだ」といって満足して帰るようなものです。処方箋だけで満足し、実際に薬を飲むことをしません。そして処方箋の良し悪しを散々検討した結果、飲みもせず「あの薬は効かなかった」と思い込んでしまいます。だから問題が解決しないのです。
これは実際に多くの人が行っていることです。
もし、本当に覚悟と決意があるのなら、簡単に怒りを起こさないものです。それが実践です。
頭でできていると思ってもダメです。
実践が伴わなければ何の意味もありません。
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多額のお金を要求する人や、脅しを言ってくるような人もスピリチュアルカウンセラーの中にはいますので、最低限気をつけなければいけませんが、少なくとも、多くの善良なスピリチュアルカウンセラーは、心からあなたを救いたいと思っており、傷つけたいと思っていることはありません。
まずは信じ信頼することが第一です。信じることはクライアントの仕事であり、疑うことはカウンセラーの仕事です。
カウンセラーがクライアントの話を全て肯定し、信じていたら、そのカウンセラーは人を変えることはできないでしょう。なぜなら、クライアント自身が持っている知識や思い込みや考え方の癖によって今の現状を作り出しており、クライアント自身が気づいていない問題の原因を特定しなければ問題解決へは導けないからです。そのためには、クライアントのすべての知識や思い込みや考え方の癖を疑っていかなければなりません。
もし、あなたが、あるカウンセラーの元に行って、ただ共感してくれるだけで、気分よく帰れたとしたら、それは、あなたを慰めるだけが仕事のカウンセラーであり、あなたを変えることを目的としたカウンセラーではありません。
私たちは、あなたを変えるためのカウンセラーです。もしも、問題の原因がそこにあると分かれば、例え反感を買ってでもそこに突っ込まなければならないと思っています。
筋肉をつけるためには運動をするしかありません。ダイエットをしようと思ったら運動か食べないことしかありません。ある目的を達成しようと思ったら、やるべきことは明らかです。それと同じように、自分を変えようと思ったら、覚悟と決意をもって自分と向き合うしかないのです。
自分で怒りを選択していると知ること
最後に知っていただきたいことがあります。
これは「嫌われる勇気」で有名な「アドラー心理学」の話しです。
アドラー心理学では、「怒り」というのは、自分がある目的を持って選択する行為だと考えられています。
怒りというのは、何か原因があって生じる感情ではなくて、
自分が何かの目的を得たくて起こさせる感情だと考えます。
例えば、「嫌われる勇気」にはこんな話があります。
ある男性が、レストランでウェイターに飲み物をこぼされました。
その時、その男性は大きな声でウェイターを怒鳴りつけました。
普通に考えればこれは、飲み物をこぼされたから怒ったと考えますが、
アドラー心理学では違います。
相手を屈服させたいという目的を持って、
大声で怒鳴りつけたのだといいます。
つまり、飲み物をこぼされたことは材料でしかなく、
それをきっかけに、自分が怒りを選択したのだと言うのです。
この話を初めて聞くと、理解するのはなかなか難しいかもしれませんが、
人生経験の豊かな方ほど、その経験を通して考えると納得できるのではないかと思います。
私たちが怒りを感じる時、
心の奥底には2つの原因があります。一つは「相手に自分を認めさせたい」という思いです。
怒りによってストレスを発散しているように見える迷惑な人も、根本的には、怒りそのものでストレスを発散しているのではなく、相手を屈服させることによって自分がどれほど立場が上かを感じてストレス発散をしているのです。
もう一つは、「現実から目をそらすための逃げ場にしている」ことです。怒りを向けることによって、その問題に向き合わないですみます。冷静に考えることを放棄して、目の前のことをうやむやにして問題に向き合うことから逃げるために怒ります。
いずれにせよ「怒り」というのは、自分を認めてもらいたいという心の叫びなのです。
もちろん、「自分を認めてもらいたい」という気持ちが悪いわけではありません。
怒りという一番単純なコミュニケーション手段を使って表現することが良くないのです。
先程のある男性の例では、彼は冷静に話し合い、クリーニング代を請求するなど、怒りによらなくても自分の利益にかなう目的を達成することができたはずです。
それを安直な「怒り」というコミュニケーション手段を取ってしまったのです。
怒りというものがどんなものであれ、例え、どれほど自分の怒りが正当に見えたとしても、自分の中に怒りがあることに気づいたら、それこそが人生を停滞させている原因なのではないかと考えてみてください。
アドラー心理学では、「人間の悩みは全て対人関係の悩みである」と言い切っています。100%全てかどうかはわかりませんが、少なくとも90%以上はそうだろうと思います。
そうであるならば、心の内側にある怒りというものが今の問題の根本的な原因になっている可能性も十分にあります。
怒りに満ちた心を捨てて、自分自身に向き合えば、必ず問題解決への道は開けます。
2つの補足
一つ目の補足
最後に、2つ補足をしておきます。一つ目は、そもそもの相談が「怒りっぽいのを治したい」ということです。この場合は事前にその旨をカウンセラーに伝える必要があります。
怒りっぽいのを治したくてカウンセラーに相談しているのに、「では怒りを捨ててからお越しください」と言われたら本末転倒です。
心の奥深くの「怒り」を捨てなければいけないというのは、あくまで人生問題の解決のためです。もし、人生問題が「怒り」そのものであれば、当然、怒りを取り除く手段はあります。
ここで大切なことは、心の内側が怒りで満ちている人は、自分が怒りに満ちているとは気づいていないことにあります。
もし、「自分は怒りに満ちている」と自覚しているのだったら、それはまったく問題ありません。
問題は、問題がどんな問題であるかではなく、問題がそこにあることに気づいていないこと自体なのです。
ですので、問題を解決したいのならまずは怒りを捨てること(あるいは気づくこと)、そして、怒りがそもそも捨てられないのなら、怒りを捨てるための手段を考えること(そのためのカウンセリングを行うなど)、これこそが問題解決への道です。
二つ目の補足
ここで挙げたような「心の内側が怒りに満ちている」人は概ね全体の2割以下です。
ですので、これを読むほとんどの方にはあまり関係がありません。しかし、これを逆の立場で考えると、きっとあなたの役に立つ記事になるのではないかと思ってこうして書いています。
それは、あなたもまたきっと、その2割の人に出会うということです。
人生を振り返ってみると、心の内側が怒りに満ちていた人を数名は思い出せるはずです。そして、これからもきっと、そういう人とは出会うことがあると思います。そんな時に、ここで書いた「怒り」の根本的な理由を思い出してもらいたいと思います。
怒りというのはもっとも原始的で未熟なコミュニケーション手段であり、それによって自分を認めさせようという行為であり、自分を認めてもらいたいという心の叫びである
そのことに気づいた時、人の怒りというのはあなたを傷つけるものではなく、ただ、相手の心の未熟さを表すに過ぎないものだと理解できるはずです。
※もちろん、本当に正しい怒りというのも中にはあります。しかしそれは、感情的な怒りではありません。怒られることと相手の怒りを混同してはいけません。正しく怒られているなら自分自身の非を認めることは当然大事になります。
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